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浪速(なにわ)は、日本海軍の防護巡洋艦。浪速型の1番艦である。艦名は大阪の古称「浪速」にちなんで名づけられた。 ==艦歴== 1884年、イギリス、ニューキャッスルのアームストロング社のロー・ウォーカー造船所で起工、1886年2月15日に竣工し、二等艦と定められた。日本海軍が採用した最初の防護巡洋艦である。日本に回航され、同年6月26日、品川に到着した。1890年8月23日、第一種と定められた。 1893年から翌年にかけて、ハワイ革命勃発による邦人保護のため、二回にわたりホノルルに派遣された。日清戦争では、豊島沖海戦、黄海海戦、大連・旅順・威海衛・澎湖島攻略作戦等に参加。1894年7月25日の豊島沖海戦の際に、清国兵約1200名を輸送中のイギリス船籍汽船「高陞号」(英国商船旗を掲揚)と遭遇し、東郷平八郎艦長は国際法上の手続きを経た後に同船を撃沈した(高陞号事件)。 1897年4月から9月にかけて、ハワイ移民上陸拒否事件への対処のためホノルルに派遣された。1898年3月21日、二等巡洋艦に類別。同年5月から8月にかけて、米西戦争により邦人保護のためマニラに派遣され、北清事変では1900年より翌年にかけて、北清沿岸警備に従事した。 日露戦争に際しては、仁川沖海戦・蔚山沖海戦等に参加し、日本海海戦では被弾し損傷を受けた。 1912年6月26日、北千島へ測量器材を輸送中に、得撫島沖で座礁し、7月18日に沈没した。同年8月に除籍され、残骸は翌年6月26日に売却された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浪速 (防護巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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